ADHD/ADD


ここは、ADHDおよびADDについて私的にまとめたサイトです。
僕なりに解釈して表現しているため、間違いなどがあるかもしれません。その際はご連絡頂ければすぐに訂正致します。
注意:初出2001年です、かなり昔に書いたものなので内容が古くなっています。

まず、こちらをお読みください。

19/01/01 なんとなく生きづらさを感じるADHDの皆様。僕の思うところがあったので、久々ですが世間というものに関するコラムをまとめてみました。いかがでしょうか。
09/06/15 最近は「アスペルガー症候群」と思われる方からのご相談が多いです。アスペルガー症候群の関連サイトも参考にしてみてください。
06/09/09 ADHDのコミュニティを利用される前に:こういった団体も存在しますので注意してください。
01/10/20 スタート


■ 始まりは『どうもおかしいな』 ■

「真剣にやってるつもりなんだろうけど、ぼんやりしてるようにしか見えない」と、バイト先の店長に言われました。
「集中力のなさ」「注意力散漫」「忘れ物が多い」「協調性がない」親子面談や通信簿で先生から毎度のごとく指摘されるほどずっと昔から。これに似た台詞は何度も言われてきたので『これが自分の性格なんだろう』と極力気にしないようにしてきましたが、社会に出てからもなお頻繁に言われるので『どうもおかしいな』と思うようになりました。
精神科医に検査をしてもらった結果、ADDと診断されました。
この障害、友人や家族の前ではさほど問題にならないと思うんです。事情を話せばわかってくれると思いますし、気づかなければ性格なんだろうな、で済まされる面もありますし。ただ、職場や学校ではそうもいかないのが現状。「できない理由は、要領が悪いから」なんて、言い訳にもなりませんから。
このまま放っておくのもアレなので、治療に踏み切ることにしました。

■ ADHD/ADDとは ■

そもそも、ADHD/ADDとはなんぞや?
ADHD注意欠陥多動性障害の略語です。ADHDの中でも多動・衝動性があまり見られず、不注意によるミスを繰り返したりする場合はADHDの中でも「不注意優勢型」と分類され、ADDと呼ばれます。注意欠陥障害の略です。
かといって注意力がないってわけじゃなく。セルフコントロールの障害……常に頭の中が混沌としていて、情報を整理することができない、と言えばわかりやすいでしょうか。

これは症候群でも感染症でもなくて、先天的な中枢神経の代謝障害なのだそうです。
つまり、ADHD/ADDは大人になってからなるものではなく、生まれつきの障害です。小さい頃から主症状が見られ、6ヶ月以上継続して主症状が現れていて、なおかつ重篤であり、症状の原因が他の病気である可能性がないと思われるケースが、ADHD/ADDと診断されるようです。
最近では脳炎等にかかったり脳に強い衝撃を受けた場合なども、後天的に同様の症状が出るだろうとされています。
ADHD/ADDはあくまで脳の機能障害であり、精神疾患ではないとされます。ただ、学習障害などの発達障害や鬱等の二次的障害を併発しやすいため、現時点では精神科にかかることになります。
脳機能障害ということで、現時点では完治する方法はありません。しかし、投薬によりある程度主症状を軽減することができます(二次的障害には別の処置が必要になります)。
ADD ADHD 注意欠陥 多動性」等の単語で検索すると専門のサイト等がいくつか出てきますので、詳しくはそちらをご覧ください。関連書籍にはさらに詳しい情報が多数書かれていますので、そちらもぜひ参考にしてください。

■ この障害の特徴 ■

ADHDの主な症状は不注意、多動、衝動性です。
ADHD/ADDに関する情報を集めていくうち、僕が思い当たった点は書ききれないほどありまして。これは僕の場合です。これほどいろいろあってもIQは平均以上あり、公立高校と専門学校は卒業できていたりします。テスト前の10分以外、テスト勉強とかしたことないのに……不思議。

しかし、誰にでもできそうなことが何故できないんでしょう?
ADHD/ADDの人は、通常は一定の量が保たれているはずの脳内の化学物質の量がアンバランスです。大抵の場合は足りていません
脳内物質の量が足りないとどうなるのでしょう? なんと、不必要な情報をカットすることができなくなります
喫茶店でお茶を飲んでいるとき、窓の向こうを走っている車のエンジン音やヘッドライトは気になりますか? 店の奥で話している人たちの声は? ウエイトレスの動きや足音は?……健常者なら、これらはそうそう気になるものではないと思います。脳内物質の働きで、無意識のうちに身の回りに散らばる様々な刺激のうち不要なものを無視することができるからです。
ですが、このフィルタリング機能がうまく働かないと、こういった余分な刺激にまで反応してしまいます。それは、なにもしていなくてもありとあらゆる騒音が耳に飛び込み、眼前の景色は目で追うのも難しいくらいの勢いで変化し続けるようなもの。通常ならば自分とは無関係なノイズ達がひっきりなしに頭の中へ飛び込み、集中や思考を乱すのです。毎日がパチンコ屋の中に居る状態のように目まぐるしく騒々しかったらどうでしょうか? ADHD/ADDの人は常にそんな状態なわけで。これでは整理するも状況判断もへったくれもないでしょう。
頭の中が散らかったままだといろいろ大変で、集中力が上がらなければ不注意によるミスも増えますし、なんでもかんでもいろんな情報が頭に入ってくるのでどの情報が大切なのかがわからなくなってしまいます。ましてや情報を整理しようとしても次から次へと飛びこんでくる情報に反応してしまってそれどころではありません。人間はなにか行動するにあたって、大抵は情報と記憶を照らし合わせ、その結果をもとに行動するのですが、その記憶ですら大量のルーズリーフが床に散らばっているも同然の状態。これでは思い出すものも思い出せません。
健常者には特に意識しなくても自然にできている情報整理能力、これがADHD/ADDな人には全くないといっても過言ではないと思います。
脳内物質の不足というのは意識してどうなるものではありませんから、どれだけ気をつけていても症状は出てしまいます。根本的な問題が解決出来ていないと、当然何度も繰り返します。
こんなことを繰り返していては社会に適応するのは困難です。まわりに迷惑をかけることも多々あります。健常者から見れば単なるトロくて無神経な変人にしか見えないため、周囲から長期にわたって非難され続けるなどして鬱になったりしてしまい、かえってこちらの二次的障害のほうが深刻になることもあるほどです。

■ 二次的障害の存在 ■

24時間365日、頭の中は大量の人が行き交うスクランブル交差点のような混沌の極致。もちろん信号機なんてありません。迷走する情報たちに振りまわされ圧倒されるADHD/ADDの人は常にキャパシティギリギリで活動している状態。そこへちょっとした刺激が加わるだけで、簡単にオーバーフローしてしまいます。すると、常識では考えられないような突飛な言動、不可解な反応をしてしまうことがあります。
さて、まわりの人の反応はどうでしょう?
びっくりしたり、迷惑だと思ったり……行動が行動だと、強く非難されるかもしれません。
一度そういったことがあると、次からはなんとかしようと思うのがまあ一般的な考え方でしょう。大抵の人なら、自分の行動を見なおすことで問題行動を改められることが多いです。
ADHD/ADDの人だって同様に改めようします。が、なんせ先天性障害なわけですから、どうにも改まらないこともあるんです。というか、改めようとしてもまたやってしまうんです。問題行動だって、障害の関係で無意識のうちにやってしまうことが大半ですからね。
何度も同じ問題行動を繰り返すということは、まわりの人にはかなりマイナスな印象を与えるでしょう。やる気がないとかバカにしてるのかとか思われることも少なくないと思います。

でも、これだけは言えます。
ADHD/ADDな人は、悪気があって問題行動を繰り返してるわけじゃないんです。
親の躾や教育が悪かったわけでもないんです。
ただ、頭の配線が普通の人とはちょっぴり違ってるだけなんです。

……と言って何人の人がわかってくれるでしょうね。
世の大多数の人は障害のことなんか知りゃしません。ADHD/ADDな人は問題行動の数だけ、悪い印象を与えてしまうんです。嫌な人だと思われてしまうんです。不快であると言われてしまうんです。フィルタリング機能がうまく働かないADHD/ADDの人は、このことで大変なダメージを受けます。
改めようとしても改まらない、何度やろうとしてもできない。みんなにはできてどうして自分だけ……すると、自分がだんだんバカじゃないかって思えてくるんですね。
こんな恥ずかしいことはありません。あの手この手で必死に隠そうとします。みんなに知られたくないがために、一言断ればすむ場面でも、なにも言わずにすべてを自分独りで抱え込んでしまったり、「皆に迷惑をかけないようにしなきゃ」と自分の行動や選択肢に制限をかけたり、なかなか終わらない仕事のために残業や徹夜をしたりと、自分を犠牲にしてまで弱点をカバーしようとするんです。
そして、失敗や問題行動を繰り返すたび、自分を責めるようになります。「ああ、なんで私はこんなこともできないんだろう」「僕は子供か?」「自分がバカみたいだ」「所詮、私は無能者なのね」……どんどん自信をなくしていきます。果ては、自分の存在意義までもが疑問に思えてきます。
ひとたび自信がなくなると、どんどんどこまでも自信がなくなっていきます。キツいことを言う人を避けるようになったり、自分の行動範囲を狭くしたり、夢を諦めたり、目標を一段また一段と低くしたりして、なんとか自信を取り戻そうとするかもしれません。でも、それでも、どんどん自信がなくなっていくんです。
その先に待っているのは、鬱。仮に鬱状態にならなかったとしても、「皆にはできて自分だけできない、なんとか皆に追いつかなくては」と懸命の努力を重ねても報われずこころをすり減らしたりする人、弱点を隠そうとする過剰な努力で燃え尽きてしまう人などなど。

皆がせずともよい努力を、人知れず続けるADHD/ADDの人たち。
投薬による治療をはじめても、この二次的障害が邪魔をして、思うように治療が進まないことも多いのだそうです。

■ 病院がない! ■

非常に残念なことに、日本にはADHD/ADDの専門家がたいへん少なく、診てくれる病院がほとんどありません。ADHD/ADDが日本で取り沙汰されるようになったのはここ数年、その存在すら知らない/認めない医師もいるほどです。「ADHDだと思うので診て下さい」と言えば、最悪門前払いということに……。
(最近は発達障害がだんだんと世間に認知され始め、診てくれる医療機関のリストを作ってくれている自治体もありますが、ほとんどが都心部に集中しており、地方はまだまだ難しいです)
さらに、ADHD/ADDは子供の病気というイメージが浸透している日本では子供の受診が優先で、大人を見てくれないところがほとんど。ADHD/ADD患者、特に成人患者を取り巻く環境は深刻です。
ここまで読んで「ああ、自分はADHD/ADDかもしれない!」って思った方の中には、いったいどこへ行けばいいのかわからず右往左往している方もかなり多いと思われます。

ただ、診断されたからといってなにが変わるかというと……これが、実はあまり変わらなかったりするのでした。
お薬は出るかもしれません。でも、お薬を一生飲み続けるわけにもいかないと思います。実際、お薬は長期連用で耐性がつくためだんだん効果が鈍ってきますし、ものによっては肝臓などに負担がかかります。お薬代もバカになりません。
それに、お薬がすべてを解決してくれるわけでも、ありません

ではどうすれば……?
日々の生活を自分に合わせて変えてしまいましょう。自分なりの工夫を重ねることで、失敗だらけだった日々の生活を改善していくことだって可能です。
そのためには、まず自分自身の特徴を知ることが必要です。
僕はノートに書き出すことをオススメしています。ノートの左側に、自分がどんな人間であるかを書き出していくのです。
案外自分のことは自分でもよくわかっていなかったりしますから、ご両親や兄弟、お友達の協力を得るのもいいでしょう。
左側に自分の特徴を書き出したら、今度は右側にその特徴に対して自分がとるべき対応策を考え、書き込んでいきます
あ、左側に書き出されているのが長所の場合は、その長所をより伸ばしていくための方法を考えて、書き込んでみてくださいね。
例えば、物忘れが激しい僕の場合は。自分の記憶力はアテにならないということで、別のなにかに記憶を肩代わりしてもらうことにしました。
僕は自信喪失もひどいんですが、こちらはちょっとしたことから自分を褒めていくということをはじめてみています。
あとは、仕事の進め方もオリジナリティあふれるものとなっています。マニュアル通りには仕事が進められないので、かなり自己流にアレンジして進めています。
そして最後に、右側に書き出した内容を日々実践していきます。何度試してもうまくいかない場合は、対応策を考え直す必要があることもわかってくるでしょう。いまのプランに無理はないか、今よりもっと詳細に対応策を考える必要があるのでは、などなど。
文字になった自分自身とその対応策を読み返してみると、新しい発見があるかもしれませんよ。

どこをどう工夫を重ねても病院に行くしかないとなった場合は、医師に相談する際、自分が今どんなことで困っているか、を相談してみてはいかがでしょう。
いま一番困っていることはなんですか? まずはそれを絞り込み、複数ある場合はそれらもまとめて紙等に書き出します。それを持って、医師に相談してみてはどうでしょうか。字を書くのが苦手な方は文書ファイルを作成し、プリントアウトするとか、場合によってはノートパソコン持参というのもありでしょう。
すると、医師はADHDという診断名こそくれませんが、なんらかのアドバイスをくれたり、場合によっては検査、処置や投薬を施したりしてくれるでしょう。
薬が合わなければどんどん医師に伝えてください。医師だって万能じゃないので、いきなりビンゴなお薬を出せるわけじゃありません。個人個人に合う薬を見つけるには、やはりいろいろ試してみるのが一番手っ取り早いです。カウンセリングを受けることになった場合は、カウンセラーが自分に合わないような気がしたらかえて頂くように意思にお願いしてもいいでしょう。
そして、どうしても医師・病院が自分に合わないようならば。仕方ありません、病院をかえましょう。

つまり、僕らに必要なのは、ADHD/ADDという診断名をもらうことじゃないみたいなんですね。
ADHD/ADDと上手く共存する術を身につけることが、最重要課題。
一生医師(お薬、病院)に頼ってばかりというわけにもいきません、一生つきあっていく「自分自身」なんですから。

■ 一休さんの心意気 ■

でも、症状が出ちゃうとやっぱり不安ですよね。パニックになったりしますよね。
そんなとき僕は、一休さんを思い出すようにしようかなって。
例えば、症状が出ちゃってショックを受けたりしたときは♪気にしない 気にしない 気にしない♪と。症状を隠そうしたりとするからよけいややこしくなるわけであって。どのみち障害は一生もので完治させられる見込みはありません。薬を飲んでても出るものは出るらしいので、ここはいっちょ開き直ってしまおうって感じでしょうか。失敗した自分を責めるのではなく、赦す。この発想の転換が大事です。
あ、だからといって自分の都合のいいように好き勝手に行動したりするのはよくないですよ。まず周囲への影響を考え、一呼吸おいてから行動に移してください。
症状が出てみんなに迷惑かけたりした場合は、NGを出した分、別の場面で挽回するようにしたいですね。時には素直に謝ることも大切だと思います。手伝ってもらったりしたときはお礼を言うべきです。でも、世の中には手伝いながらもぶつぶつ文句を言ったりする人がいますから、そんなときには「手伝ってくれるのはうれしいけど、そんなことを言われる筋合いはない」とハッキリ言いましょう。文句言われてまで手伝ってもらう義理はありません。言ってもきかないような人の場合、そんな人と関係を続けていてもプラスになることは少ないでしょう。恩着せがましい善意を押し付けられるくらいなら、別の人に手伝ってもらうなりお金を払って業者にやってもらうなりするほうがこころの健康にいいですから。

人前で失敗しちゃったりしてパニックになっちゃったり、かんしゃくを起こしそうになっちゃったりしたときはあわてない、あわてない。一休み、一休み。いったん思考を止めて、自分が落ち着いた状態でないことを自覚しようって感じでしょうか。
実はこれ、結構あると思います。例えば、自分が一番他人に指摘されたくない部分を指摘されたりすると、羞恥心で頭がいっぱいになって前後不覚に陥ってしまったりしませんか? そしてかんしゃくを起こしてしまったりその場から逃げ出したりしませんか……? その時の反応に相手がびっくりしてしまったり、以降相手と顔を合わせるのが気まずくなってしまったり、そしてそのまま疎遠になって、最後には関係が途絶えてしまったり……。

欠点を素直に認めることは結構重要で。ADHD/ADDの人はとかく症状や欠点を気にして隠そうとしますが、それが返って悪循環の元になります。対人関係でトラブったとき、症状そのものに問題があるわけではなく、症状が出たのを隠そうとしたりしたそのときの言動に問題がある場合がほとんどなのだそうです。
もしやっちゃったとしても、後でフォローを入れておけば事無きを得ることもあります。でもやっちゃう前に自分にブレーキをかけておけば、後々面倒が起こらずにすむことも多いと思うんです。
困ったことがおきそうなときには一休さん、でいかがですか?

■ まわりの理解と協力は必須 ■(健常者の皆様へ)

この項目は、健常者向けの項目です。
「自分のことは自分でなんとかする」を信条に掲げる人は多いと思います。努力家の皆さんは特にそうでしょう。そんな方々から見れば、自分のこともままならないADHD/ADDの人たちが大変に甘えた人間に見えることでしょう。
一向に結果が見えてこないと、周囲の人たちは不審がるでしょう。「一体この人は、毎日なにをしているんだろう?」と。
ADHD/ADDな人たちは、決して怠けているわけではないのです。日々、大変な努力を積み重ねています。しかし、努力すれどもなかなか結果を出せないのが、ADHD/ADDな人でもあるのです。
ADHD/ADDな人たちは、自分で出来ることならとっくの昔に自分でやっています。他人からヒントをもらうことで解決できるならすぐに解決できているでしょう。そして次からは自力で解決できるようになっているでしょう。
ADHD/ADDな人たちが周囲に助けを求めているのは、もはや自分ひとりの力ではどうにもならない世界だからです。ADHD/ADDな人たちは、決して障害を理由に逃げているわけではないのです。ADHD/ADDな人たちが自力ですべてを解決できているなら、こんなにたくさんの患者さん達が困ってはいないのです。
周囲の人たちは、ぜひこのことに気づいてあげて下さい。理解を示してあげて下さい。そして協力してあげて下さい。
そのことで周囲の人たちには大変な我慢、忍耐、努力を強いることになるかもしれません。しかし、周囲のサポートがあるのとないのとでは、大きな違いが出ます。周囲のサポートがあれば、努力が結果に反映されやすくなり、ADHD/ADDな人はより一層の努力を重ねて自己改革に努めるでしょう。お互いがより良い関係になるために、必要なことだと僕は思います。
ADHD/ADDの克服には、周囲の理解と協力がどうしても必要なのです。
つかず離れずの距離で、見守っていてあげてください。
失敗を見ても、ADHD/ADDの人を責めるのではなく、ぜひ、赦してあげてください。
見放すことなく、赦し、褒める。その積み重ねが、ADHD/ADDの人から失われた自信を取り戻すきっかけになります。

■ もしADHD/ADDだったとしても ■

ADHD/ADDだと診断されたとしても、そう悲観することはありませんよ。
ADHD/ADDの人は、時折爆発的な集中力劇的な閃きを見せることがあるそうです。坂本竜馬などの偉人もADHD/ADDだったという説も出てきているほどです。
それは、一種の才能だと考えれば、気楽になれるとどこかのページにもありました。一度クセを見抜いてしまえば、それを逆手にとることでいろんな可能性が開けるそうです。僕も『生まれつき宝くじに当たってるようなもんだ。ヨッ、生きた3億円!(爆)』ってことにしようかなと。言葉は悪いですがね。

これは本にも書いてあって僕がびっくりしたことなんですが、ADHD/ADDの人は健常者に合わせようとし過ぎてこころが疲れてしまう人がすごく多いけれど、残念ながら薬や努力で症状が完全に消えることは、ないそうなのです。普通の人と全く同じように行動できるようにはなれないそうなのです。むしろ、完治できない生まれついての障害であることを再認識し、その事実を受け入れ、自分には欠点もあるが長所もあるのだということに気づいて、長所を伸ばす努力をしたほうがいいのだそうです。普通に、標準になろうと努力を重ねるのは、かえって時間の無駄ではないだろうか、と。
健常者をwindowsマシンに、ADHD/ADDな人をMacintoshに例えるとしたら、システム全体に相当する社会はwin仕様なので、僕は互換性が取れずデータが読めなかったり、プログラムが動かなかったりしてるような感じだったのでしょう。自分なりにツールを作ってデータを変換したりプログラムにパッチを当てたりしてなんとか頑張ってきたものの、結局バグやエラーが出てシステムに対応しきれないでいる、みたいな。自分がMacであることに気づいてなくて、それなのにMacを無理矢理winマシンにしようとして失敗して、エラーが出るたび「なんで動かねえのかなあ、どこがおかしいんだろ?」とか思ってるような。
早くMacはMacだと気づいて、Mac流の働きを見せればいいじゃないかということなんでしょう。Macだって、まったく役に立たないわけじゃないですからね。独自のプログラムを組めば、そのMacにしかできない処理だってできるようになるんだろうし。

見方を変えれば世界が変わります。「みんなと同じになれない」じゃなくて『私は私』なんじゃないかと。それに、他人は自分が思っている以上に自分に関心がないものです、そんなに気に病む必要はないんですよ。
僕らはダメ人間なんかじゃないんです。いつかそれに気づくとき、僕らの前に新しい世界と無限の可能性が広がります。

ADHD/ADDな自分を、いつか愛せるように。


2009-06-15

Posted by にこたま